〜青春はなにもかもが実験である〜
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UN Forumより

UN Forumに真依さんのインタビューが。
http://www.unforum.org/

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他にもアフリカの難民の方だと道で止められたりとか、失礼なことを言われたりとかということも多いようです。ある方は、突然事務所に飛び込んできたのですが、もう10年近く日本にいるのに差別的発言を受け続けてきており「僕なんか、いつまでたったって日本人に受け入れてもらえないんだ!」と入ってくるなり目の前で泣き崩れていました。
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バングラディシュの友人は日本に来て4年になるというのに、
いまだに警察から事情聴取をしばしばされるらしい。

博士課程まで出て、パスポートも免許証もすべて見せても、
1時間以上、なぜ日本にいるのか、問い詰められる。

***

難民映画祭で、「亀も空を飛ぶ」というドキュメンタリーを見たのだけれど、
救いようがないというか、あまりにハッピーエンドから程遠すぎて、迂闊にコメントなど
いえないくらい重い。

映画の後の質疑応答において、

クルド人の方が挙手し、

「2001年に日本に来てからずっと仕事が見つけられなくて、難民認定もされない。」

と、激白していた。


***

まだまだ勉強が足りないし、行動も足りない。


参考:難民問題に関する状況

難民問題と日本
−国内における難民の受け入れ−

難民条約上の難民(条約難民
(1) 条約難民とは
 難民条約(1951年の難民の地位に関する条約)に定義された難民の要件に該当すると判断された人を「条約難民」と呼んでいます。難民条約第1条A(2)で定義された難民の要件は、以下のとおりです。
(a) 人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すること
(b) 国籍国の外にいる者であること
(c) その国籍国の保護を受けることができない、又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者であること


(2) 我が国の難民条約への加入
 我が国においては、昭和50年代前半のインドシナ難民の大量流出を契機に、難民問題に関する議論が急速な高まりを見せました。これを受け、昭和56年6月の通常国会において、難民条約・議定書(1967年の難民の地位に関する議定書)への加入が承認され、昭和56年10月3日に難民条約に、昭和57年1月1日に難民議定書に加入、昭和57年1月1日から同条約・議定書が我が国について発効することとなりました。


(3) 難民認定と効果
(イ) 難民条約への加入に当たり、従来の出入国管理法令を改正し、新たに難民認定制度を導入するとともに、法律の名称も「出入国管理及び難民認定法(入管法)」と改称しました。
 我が国において、その外国人が難民条約に定義された難民に該当するか否かの判断(難民の認定)は、法務省(入国管理局)が所管しています。
 昭和57年の難民認定制度導入から、平成18年末までの申請数は4,882件で、うち難民と認定されたものは410件、不認定は3,162件となっています。
(ロ) 難民として認定された人は、我が国で安定的に在留できるほか、永住許可要件の一部緩和、難民旅行証明書の交付が認められています。
 また、難民条約に定められた難民に対する各種の保護措置を確保するため、社会保障関係法令(国民年金法、児童扶養手当法等)から国籍要件を撤廃するなどの法整備が行われました。これにより、初等教育、国民年金、児童扶養手当、健康保険などについて、日本国民と同一待遇を受けられるなどの社会生活上の効果もあります。


(注) 難民条約について詳しくはこちら。




インドシナ難民
(1) インドシナ難民とは
 1975年のベトナム戦争終結に相前後し、インドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では新しい政治体制が発足し、そうした体制になじめない多くの人々が、その後数年に亘り、国外へ脱出しました。これらベトナム難民、ラオス難民、カンボジア難民を総称して、「インドシナ難民」と呼んでいます。


(2) 我が国との関係
(イ) 昭和50年4月末の旧南ベトナム政権崩壊以降、ボート・ピープル(注1)の流出が激化し、翌月には我が国へも初めてボートピープルが到着しました。
 ボート・ピープルの到着は、昭和50年には9隻126人、51年には11隻247人でしたが、52年には25隻833人へと急増、54年から57年の4年間は毎年1,000人台を記録しました。
(ロ) 我が国では、ボート・ピープルに対し、当初一時的な滞在のみを認めることとしていましたが、インドシナ難民の流出が続き、東南アジア諸国に一時滞在する難民の数が増大するにつれて、我が国においてもこれら難民の定住受け入れを求める意見も強くなっていきました。
 このような内外の要請に応えるため、政府は昭和53年4月28日の閣議了解により、ベトナム難民の定住を認める方針を決定しました。定住許可の条件は、当初設定されていた定住枠の撤廃、ラオス難民、カンボジア難民への対象の拡大など順次緩和され、更に、昭和55年6月17日付け閣議了解により、「合法出国計画(ODP)」(注2)の手続や、アジア諸国のキャンプに滞在する難民についても、家族再会を目的とする定住受入れを認めることとなりました。
(ハ) 昭和54年に39万人とピークを迎えたインドシナ難民の流出は、合法出国計画の実施により以降減少を続けましたが、昭和62年に再び増加に転じ、平成元年には約8万人に上りました。
 この再度の増加の原因は、主として貧困による生活苦から逃れ、より豊かな生活を求める出稼ぎ目的のボート・ピープルの流出と認められたことから、この問題に対処するため、1989年6月に開催されたインドシナ難民国際会議において「包括的行動計画(CPA)」(注3)が採択されました。
 同計画の採択後、インドシナ難民の流出は激減し、平成7年以降、ボート・ピープルの我が国への上陸は発生していません。


(3) 受入れ状況
 昭和53年から平成18年末までのインドシナ難民定住受入れ数は11,319人で、近年ではほとんどが「合法出国計画」による家族再会のための受け入れとなっています。

*内 訳
ボート・ピープル   3,536人(31%)
海外キャンプ滞在者 4,372人(41%)
合法出国者(ODP) 2,669人(21%)
元留学生など 742人(7%)


(4) 難民条約との関係
 我が国のインドシナ難民の受入れは、人道上の国際協力という面のみならず、アジアの安定という面からも重要と考えられたため、我が国が難民条約に加入する以前から、同条約とは異なった立場において実施しているものです。
 よって、インドシナ難民については、個別に難民性の審査は行われていませんが、国内での処遇については条約難民に準じた配慮が払われています。



インドシナ難民及び条約難民に対する定住促進事業
 政府は、昭和54年10月の閣議了解により、インドシナ難民の我が国での定住を支援する方針を決定しました。この決定に基づき、(財)アジア福祉教育財団に定住促進のための事業が業務委託されることとなり、同財団に「難民事業本部」が発足しました。
 同本部の下に、姫路定住促進センター(兵庫県姫路市)、大和定住促進センター(神奈川県大和市)、国際救援センター(東京都品川区)が設置され、日本語教育、職業紹介、職業訓練などの定住促進業務が実施されました。近年のインドシナ難民受入れ数の減少により、姫路及び大和の定住促進センターは既に閉所され、残された国際救援センターにおいて、従来のインドシナ難民のほか、平成15年度からは条約難民向けの定住促進業務を行っていました。その後、インドシナ難民の我が国流入が終結したことに伴い、国際救援センターは平成18年3月末をもって閉所し、同年4月からは新たにRHQ支援センター(東京都内)を設け、条約難民及びその家族を対象とした定住促進業務を行っています。

(注1) ボート・ピープル
 ベトナムから漁船などの小型船に乗って脱出したベトナム難民のことで、小型船で直接周辺諸国にたどり着いたり、南シナ海を漂流中に航行中のタンカーや貨物船に救助されて寄港地の港に上陸しました。


(注2) 合法出国計画(ODP・Orderly Departure Program)
 南シナ海を漂流中のボート・ピープルについて、悪天候による遭難または海賊に襲撃を受けるなど、人道上看過できない状況が発生しました。
 事態改善のため、1979年5月30日、UNHCRはベトナム政府と覚書(合法出国計画に関する覚書)を取り交わし、ベトナム国内に滞在する者で、海外にいる家族との再会等を目的とする場合は、本計画に基づき同国からの合法的出国が認められることとなりました。


(注3) 包括的行動計画(CPA・Comprehensive Plan of Action)
 出稼ぎ目的のボート・ピープルの流出等に対処するため、1989年6月、ASEAN諸国主導でジュネーヴにおいて開催されたインドシナ難民国際会議において、同問題解決のための包括的行動計画(CPA)が採択されました。同計画の骨子は以下のとおりです。
(a) ボート・ピープル流出防止のため実効的措置、ODPの促進
(b) ボート・ピープルに対するスクリーニング(難民認定作業)の実施、不認定者の帰還の促進
(c) スクリーニング実施以前からキャンプに滞在する難民、スクリーン・インした者に対する定住の促進




コメント

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日本語もわからず、英語もあんまりで、やっと成田につく。お金も泊まるところない。そんな人たちを私は目にしました。そして、その人のために泊まる場所を確保しようと、ホテルに電話すると、「黒人の方はちょっと・・・」と言われてしまうことがありました。きっと以前よりは難民の方たちを取り巻く環境は良くなっているのだろうけど、これも日本の現実。そんな社会は私はいやだなー。
あと、「日本の難民」というとよくインドシナ難民がとりあげられているけど、もちろんインドシナのことも外せない事なんだけど、今、日本に保護を求めてきている人はいろいろな国から来ていて。その人たちがここまで来ざるを得なくなった状況を、原因をもっと知りたいと思った。
じゃすみん、NGOのこと書いてたけど、この前私、バングラのBRACの創設者の人の講演会行ったのさ。いろんな人がいろんなところで頑張ってるんだね。
私はまだまだ修行が足りないわ〜。
長々とコメントごめんねw
あっ、金児さんはやっぱり素敵な人だよね(笑)
y | URL | 2008/10/18/Sat 08:14 [EDIT]
ホテルとかいまだにそうなんだ。。
そういう小さなことって、実際にいわれてみないと気づかないよね。
私、難民の勉強はじめてから、いかにパスポートがすごいものか気づいたし。
難民、って難しい民って書かれているけれど、難しくさせているのは、社会ももちろんのこと、それより私たちひとりひとりなんじゃないかな、って思うよ。

日本の難民の説明、っていうのさ、外務省のHPから抜粋したわけなんだけど、インドシナ難民以外の新しい情報とかあんまり載せてないし、ま、そういうのはほかの支援協会とかのHPみればいいと思うけれど、ちょっと情報少ないな、って思う。
たださ、その人たちがここまで来ざるえなくなった状況って、知りたいと思うけれど、話したがらない人もいるし、トラウマやフラッシュバックする場合もあるからなかなか聞けないなーって思う。それに、逃げてこられた人って、もちろん死ぬ気で逃げてきたと思うんだけど、ある程度お金があったり、地位があったから、
つてで逃げてこられたり、必ずしも正規の道で、いいかえれば、なんらかの人に公にはいえない方法で、きている場合もあるから、だまってしまう人も多いと思う。
BRACどうだった?講演会いきたかったよー。BRACもさ、世界的な評価はあるけれど、現地では賄賂とかあるとか、すごい黒いうわさ聞いたりしているから、世間の風評だけでなく、現地の言葉は大事だな、と思う。私も長くなりました笑
てか、ぜんぜん話変わるけど、SOASにあゆみちゃんっていう外語大の子が
留学してるよー。しってる?

じゃ | URL | 2008/10/19/Sun 05:50 [EDIT]
うん、自分の好奇心のみでその人たちに聞くのは違うと思う。
情報もねー。深く調べれば出てくるんだろうけど、ふと気になって調べた人がぱっと知ることができたらいいのにねー。一般的に、NGOより政府のほうが信用度高いだろうしね。
BRACね、LSEであったんだよ。大物来るのはLSE(笑)public lectureだったし、裏のお話はありませんでした。未来は明るいんだ!みたいな話だった(笑)やっぱり賄賂とかもあるんだね。そりゃー良いところもあれば、悪いところもあるよね。すごく意欲的な印象だったし、良いところが伸びていけばいいねと思う。
あゆみちゃん、この前会ったよ!じゃすみん知り合い??早稲田からもいっぱい来てるよー!
y | URL | 2008/10/19/Sun 09:06 [EDIT]
まじかー。LSEいきたい。。。。w
SOASでわせだの子しらんけど、あゆみちゃんマイミクだよw
結構日本人いるんだね。てか、ジョージもSOASじゃん!
なんか今週ジョージがPartyやるみたいで、invitationきたんだけど、
venueがLondonで、普通にむりぽだから、ゆうこりんjoinしてきてくださいなw

じゃ | URL | 2008/10/19/Sun 09:19 [EDIT]

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blogring.org 2009/01/16/Fri 00:44
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